20130115

Drive (2011)





今日は2011年公開の「ドライブ」。
これは原作もありまして、アメリカ人作家ジェイムズ・サリス(James Sallis)のDrive(2005)という小説。ハヤカワ・ミステリ文庫さんから出てるらしいですよ、よよ。


イギリスではないけど、キャリー・マリガン出てますっ!
しかし22歳とかそこらの役…この人はなぜ実際の年齢より若い役ばかりなのか。見た目幼いけども。それより映画俳優のキャリアは「プライドと偏見」からなのね…。キティ―というこれまた脇の脇役で今まで気づかなかった。「グレート・ギャッツビー」、期待してます。


話を戻して、友人たちが絶賛してたので(主にライアン・ゴズリングを)観てみた。なんというか、アクションちっくなのを想像してたけど、思ったよりグロい。15禁もうなずける。下手にグロいホラーよりもグロい、当社比ですが。なのでそういうの苦手な方々には心の準備が出来てから観るのをおすすめします…。私は無駄にびっくりしてしまいました。うわぁ・・・・・・・・。


都会で生きる、他人に無関心な名もなき「ドライバー」が真の人間として成長する過程を切なめに、時々グロめに描いた作品、かな。





しかし観客を良く惹きつける、上手い導入シーンだなーと思う。
キレの良い、上品な運転でカーチェイスを繰り広げる"ドライバー"。この前の「アウトロー」でのトム・クルーズとは違って、計算されつくした計画や、冷静で余裕さえ感じとられるような横顔から「あ、こいつは頭いいんだ」という印象を受ける。

けれど、やっぱり観客にとっての一番の関心は「こいつは何者なのか?」ということ。でもこんな(悪い意味ではないけど!)間の抜けた顔のドライバーに犯罪なんて似合わない…けれど強盗を助けてる…悪者?という疑問も、最後に車を捨てて一人で駐車場から立ち去る姿から消える。「あぁ、この人は何者でもないんだな」って。それは彼に名前がないこと、その匿名性からも想像できる。その後に映る都会の俯瞰シーンが彼という人物を良く説明してると思う。他人に無関心で、上辺の助けはするけど深くまでは関わらない都会のような孤独な人間。モーテルのような場所を生活の拠点にしていて、生活感などまるっきり求めていない。

彼のスタントマンとしての仕事や、強盗のドライバーをしていることは、どちらも刺激を求めているから。自らがアクションスターになることや、銃を握って殺すことが目標でない。そういう意味では「車」というのも一つのキーワードなのかな、と思う。車は世の男性が憧れるもの。車を運転するという行為は、彼にとっての夢や希望なのではないか。そこから彼は刺激を受け、もしかしたらその快感を目的に生きてきた。


そんな人間が、アイリーンに出会う。
彼女の部屋は同じ階にあるのに、とても生活感があって温かい。ドライバーとは違って、「家庭」がある部屋。それも、壁の絵も壁紙も花柄で、とても女性らしい。彼女そしてベニーシオと一緒に過ごしていると、その温かみがわかってくる。「家族」という安定した基盤の居心地の良さ。始めの方だと昼間の太陽が出てるシーンが多い。爽やかで暖かな雰囲気。ドライバーからもいつもの無表情ではなく、笑みがちらりと見えてくる。ここらへんのシーンの挿入歌に、"keep me under your spell"(「あなたの魔法にかかっていたい」)という歌詞があるけど、二人ともこのひと時の幸福がずっと続いてほしかったと思っていたはず。



そんな時間も、アイリーンの夫がムショさんから帰ってくると変わってしまう。どんどん、世界が不安定なものになってくる。ドライバーは自分がそこに居てはいけないことを察知して、夫がケンカのようなものを吹っかけてきそうになったときも穏やかに対応した。家族の温かさを知ってしまったから、それを何がなんでも守ろうという正義心が芽生えてしまったのかねぇ。



そこから彼はガチで無表情でこわいこわいこわい殺人鬼へと変貌する。いいすぎか。


このシーンの撮影した時がものすごくキニナル…
後ろのお姉ちゃんたち的な意味で


ただもう見てられないくらいに痛そうなんだもん…。バーニーがフォークやらをピーに刺すのも。踏んづけて殺すとかさ、もう狂気だよ。あの時の踏ん張り気味のライアン・ゴズリングの顔を見るだけで、軽くB級グロ映画でも見てるのかという錯覚に陥ったよ。

彼がニーノを殺しに行くときにスタント用のマスクを拝借する。この時点できっとドライバーはもう殺したくはなかったけど、自分の命にかかわる事だもんね。一大事だもんねー。「ドライバー」ではない、また別の匿名人物になりたいという願望、あるいはそのマスク・ガイというアイデンティティを持った、自分とは別人が殺しを行っていると解釈したかったのかも。とりあえず、こんな残忍なことを自分はやってないと思い込みたかったのだと思う。まだ、自分には今まで通りの自分として生きることができる希望みたいなものがあったのかもしれない。


それも、度々表れる車内のシーンで、ドライバーは自分の罪を意識するようになって、無理だという事を知るんだと思う。特に、赤信号で止まってる時に赤いライトが顔に当たっているこのシーン。彼がもう血を浴びていることを意味していて、同時にこれ以上はダメだという忠告なんじゃないかな。けれど彼の表情はもう決意を固めたそれ。


だから結局、彼は自分が持ってしまった感情に気付いてしまって、降参する。少し前に書いたように、都会の沢山の明かりは彼の夢や希望の数を表している。それが最後、真っ暗な道を走るシーンで終わってしまう事は、彼はもうそういった夢を持つことが許されない身であることを暗示しているから。バーニーを殺した時の「影」のカット。ドライバーはもはや影を背負ってしか生きていくことが許されていない。アイリーンとの生活やカードライバーとしての表舞台という、彼の希望や夢をも失ってしまったことを意味する。

しかしそんな彼は"real human being"(最後の挿入歌参照)になることができた。無関心で冷淡な人間ではなく、愛や憎しみを覚えた「本物の人間」として。強盗のお手伝いさんも、スタントも、都会も捨てたことで「ドライバー」という縛り、匿名性から抜け出せたこと。それはある意味、それは今回の出来事からの収穫なのかもしれない。エンディングは暗いものではあるけれども。

「ブルー・バレンタイン」のような、あそこまで後味悪い感じではないけれど、悲しみや孤独が残ったエンディングだったなーと思う。というか、友人のところに書いてあったFifty Shades of Greyへの出演、まじですか。この人は万能型を目指してるのかな。私、ライアン・ゴズリングの顔見るたびに2.5枚目だな~という印象しか受けないんだよね。なんとなく、ちょっとピエロっぽい。おどけた感じw(失礼にも程がある笑)

だけど、実際彼の「目」っていうのはこの作品では欠かせないものだと思う。ちょっと斜視なゴズリングの目は、この映画に雰囲気を与えていること間違いない。時にクールに、時に無表情に、時には優しめに。セリフが少ないからこそ生きてくる彼の表情や動き、体のパーツは単純にすごいなーと思いました。




監督さんはデンマーク人なのね。なんとなく、だから無駄のない洗練されたスタイリッシュでクールな感じが出せるんだな、と納得。北欧系~。
あと音楽のチョイスも素敵。あーいうぬるーい感じ、好き。



★★★☆☆
Dir. by Nicolas Winding Refn (ニコラス・ウィンディング・レフン)
Screenplay by Hossein Amini
Music by Cliff Martinez

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